ディレクターレポート Vol.1
文|総合ディレクター 北川フラム
「南飛騨Art Discovery」の初日です。
一日中、断続的にどしゃ降りと小雨が続くなか、古田岐阜県知事と山内下呂市長の力強い挨拶と地元きたこども園の園児と、下呂ジュニアウインドオーケストラの楽しいパフォーマンスの開会式があり、数百人のお客様は、マルシェの食事とワークショップ、作品の見学、巻上公一とアルタイ共和国からの音楽家3人、松田惺山率いる鬼太鼓座と50人ほどの地元太鼓グループの共演が終わり、これから始まる一日の反省会の前にこれを書いています。
まず、作品が面白いものが多いのでホッとしています。17組のさまざまなタイプのアーティストには、芸術祭初参加も多い。彼らが日本最深部、岐阜県下呂市萩原町四美の清流が走る濃いエリアから掴んだものは面白い。ここには独特な森の霊気、山の気配がやはりあるのではないかと思います。
岐阜出身の二人のアーティストは、この深い自然と真向にぶつかった作品をつくりました。遠藤利克は直径10メートル、深さ4.5メートルの円型の穴を森の中に掘りました。そこには山からの水が少しずつ入ってくる以外は手を加えない。この存在感はきっと他所の或いは都市で生活する人にとって、いつか「あの作品は今どうなっているか?」と時々思い出させるものになるでしょう。皇樹の杜の高台にある西澤利高の作品は、3メートル×4メートル弱の鉄の格子の中に朽ちかけた総重量13tの大きなケヤキの輪切りを押し込んだだけのものですが、この作品もこの後どうなっていくか興味を持たせてくれる作品です。彼らは日本最深部に育ち、その風土に圧し潰されそうになりながら作品をつくりつづけた人たちなのではないか、と思わせる作品でした。
遠藤利克《空洞の庭》
西澤利高《AS IS(そのまま)_002》
同じく自然に向き合った作品としては、フランスに仕事場を置く釘町彰は、下呂にある5万4000年前の御嶽山の噴火によってできた巌立峡の風景から想をとり、日本画の技法で描いた巨大なモノリスと映像によるインスタレーションを展開しました。船川翔司の気象作品も土地と日本海を渡ってくる風のかかわりを教えてくれるものです。
釘町彰《来たるべきもの》
船川翔司《益田風(イチイの木の少し上方では別なる時の風が流れている)》
一方、この芸術祭をやっている場所が「健康増進センター」という名称であるせいか、人間にとって健康とは何かを考えているアーティストもいました。美術にはその中心というものがなく、人の数だけの必然があるという前提なので、この疑問はよく分かります。山道の今は多種類の苔に覆われたかつての薬草園の入口にある平野真美の作品は、岐阜県立岐阜盲学校の生徒との共作とも言えるもので、生徒が森にあるヘビイチゴやヤクモソウ、カキドオシという薬草を手で触り(あるいは香りも)、それを粘土で造形したものをガラスに焼いたものが14点、道の脇に置かれているもので、人の手が触って感じ、それをまた形づくることの不思議さは私にとっての日常性を脅かすものでした。また、津野青嵐の「おきゃくさま おごっつおう 食べてくりょ」と題された3Dペンで出来たデリケートで豪華な食卓は、人と人との出会いの恐ろしさと緊張をビリビリとした空間のなかで伝えてくれます。
平野真美《萩原植物触図》
津野青嵐《おきゃくさま おごっつおう 食べてくりょ》
続いて、エリア別に作品を紹介します(健康学習センター及びその近くの民家を中心にマルシェと作品があるエリア、キュアラの丘やかつて薬草園だった山道のエリアと、主に2つのエリアに作品を配置しました)。
スタート地点となる総合案内所のある健康学習センターには、前述した船川翔司の室内作品と、釘町彰、津野青嵐の作品と、光に反応して温泉街で収音した音が聞こえるクワクボリョウタによる作品が展示されています。
クワクボリョウタ《仮想温泉》
民家の作品では、交流サロンの田中望の「あなたの根を知る」という作品が面白かった。ここにはもともと400種類の薬草があったのですが、今は殆ど育たなくなっていることに着目し、草を通して根をはるということはどういうことか考えているのですが、その空間は瓶づめがあり、薬草袋があり、密度のある絵と映像があったりで充実しています。
田中望《あなたの根を知る》
香りの館の2階では、中﨑透が椅子やバケツといった日用品を、いつもの赤、青、黄などのネオンを室内中につなげ新しい物語をつくっている作品も面白かった。同じ民家の1階にはEBUNE×あぐりの総勢50名ほどのグループによる地域に残る不老不死の民話をもとにした作品がところ狭しと展示されています。
中﨑透《Red Line/鯉と鶯の場合》
EBUNE×あぐり《不死への船路【⊥界】/岐阜・下呂漂着》
いろいろ体験ハウスの2階は鈴木初音の美しい壁画の労作が素晴らしい。壁は地域のすべてが流れ込み、変化した川砂で塗りこまれ、またそこにはかつて栽培していた「菊芋」を使って和紙を作っているものですが、それらの全体、或いは部分が実に精妙に仕上げられていて気持ちのよいものでした。このいろいろ体験ハウスには、地元出身の山内亮二の「国道41号線/拾景」という道の変遷を辿る組み写真と、ただひたすら金属部品を組み合わせて昆虫をつくる内山翔二郎の作品も迫力がありました。
鈴木初音《川と山のあいだ 種まきに歩く人》
山内亮二《国道四十一号拾景》
内山翔二郎《生きとし生けるもの》
山道エリアのキュアラの丘には、堀田千尋の「辿る」という名の通り、かつては馬が木材を曳いた道が車に変わったことを表すインスタレーションや、益田風といわれる地域独特の風の音を、環境のなかで楽しく感じられる船川翔司の作品があります。
堀田千尋《辿る》
旧薬草園のこけのみちの散策路を下ると、前述した平野真美の作品と、坂田桃歌の森の中に地域の道を映し込み、地域の人々の思い出ばなしを12点の大型の絵画作品として立体スクリーンとして掲げてある厳しくも優しい森に抱かれた作品に出会うことになります。さらに進むと道と森の境界で、渡辺泰幸+渡辺さよによる風鈴の音を聞くことができ、前述した遠藤利克の作品と、EBUNE×あぐりの屋外作品に出会います。
坂田桃歌《思い出ばなしをすごした》
渡辺泰幸+渡辺さよ《在る音》
EBUNE×あぐり《不死への船路【⊥界】/岐阜・下呂漂着》
以上の行程の至るところに弓指寛治の「地」があります。地域の民話とかつて戦前に下呂から満州に渡った「鳳凰」開拓団の2系列の物語が約100の絵画と言葉で編み込まれている作品です。こけのみちから上は、当時16歳で家族全員で移民し、殆どの人が自決せざるを得ない状況から生き残った桂川慎一さんの手記からおこされたものですが、この文と絵を見ながら、苔がぴっしりと生えた深い道を登る約1時間は何とも言えないぴっしりとした時間でした。カラダが空間のなかで、空気と一緒に呼吸しているというしかないものでした。
弓指寛治《民話,バイザウェイ》
南飛騨 Art Discoveryは、美術に導かれワークショップで遊び、楽しく、かつ凄い空間体験ができる芸術祭になっていると思います。是非足を運んでください。
写真:Osamu Nakamura